(回想)万引き事件(2)
高速が意外と空いていて、警察署には思っていたより
遙かに早く着きました。
バスに乗って、電車を乗り換えて・・・
とやっていたら家から1時間半は掛かる予定だったので
車で行った事は正解だったようです。
これが土曜日で、主人が休みの日で本当に良かった・・・
受付で事情を説明すると、受付の婦警さんが
立ち上がって案内して下さいました。
その様子は、何だか奇異な目で見られているように感じられました。
万引き犯の親なわけですから仕方ないのでしょう。
私たち夫婦は、本当に今まで普通・・・と思われる人生を生きてきて、
警察のご厄介になどなった事は無く、警察署に行く事など
運転免許の書き換えくらいしか考えられなかったのです。
しかし、今、犯罪者の身元引受人として、ここにいる。
人生、本当に何があるか解らないものです。
Aがいずれ警察のご厄介になるかも知れない・・・
と思っていたと前に書きましたが、それでも
「そんな事になるはずがない」と言う祈りに似たような
甘い気持ちで今まで過ごしてきました。
なぜ、そんな風に思っていたかというと、世間的にはこれが
初犯だとしても、私たち家族にとってはすでに家中では
Aは犯罪者のようなものだったからです。
後に書くつもりでいますが、高校に入った頃から
家では家族の財布から金が無くなると言う事件が
何度も繰り返されていました。
その金額は、もうかなりの額に上っていました。
私の財布や夫のバッグや弟の財布からさえも金を取る。
詰問すると挙動不審な見え見えの態度ですっとぼける。
嘘がばれると神妙な顔をして謝る。
この繰り返しを、もう何年も私たちは体験させられていたのです。
それを、ついに家の外でやってしまった・・・
私たちにとって、これは絶望に近い出来事でした。
婦警さんに案内されてエレベーターを上がると
少年課に連れて行かれました。
見ると、廊下にまで刑事さんがたくさんいて・・・
何やら大騒ぎになっていました。
おずおずと近付いていく私たちに一斉に注目が集まります。
万引き犯が1人捕まると、こんな大騒ぎになる物なのかしら・・・
名前を言うと「待ってました」とばかりに部屋の中に
招き入れられました。
人がいっぱい集まっているわけでした。
取調室の中では大変な事が起きていたのでした。
※この記事は2010年6月に書いた回想記事です。
回想部分はここから過去の日付でUPしていく予定です。
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